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時間を大切にすると決めたのに、気が付くと怠惰に過ごしている。

時間を大切にすると決めたのに、気が付くと怠惰に過ごしている。

数年前、造血幹細胞移植という死と隣り合わせの治療を経験し、当たり前だと思っていた一日が当たり前ではなかったことを痛感した。
長い入院を耐え忍び、ついに退院したときには生まれ変わったような気持ちで、今日からの一日一日を大切に過ごそうと決意をした。

体に悪そうな食べ物は避け、夜更かしをやめ、適度な運動を続けよう。そう決めた。

退院してから3,4年経った今、ふと気が付くとダラダラとスナック菓子を食べながらどうでもいい内容のYouTubeを見ている自分がいた。
無駄なことはしないと心に誓ったはずなのに、どうしてこうもすぐにだらけてしまうのだろう。変わらない明日がやってくる保障はどこにもないと身をもって知っているはずなのに。



この現象は何かに似ているなーとぼんやりと思っていたのだが、この前ようやくはっきりした。
新年の目標だ。
年末年始の休みがあると色々なことができる気がしてきて、新しい目標などを立て始める。新年の自分ならきっと成し遂げてくれると期待して。

基本的に私は怠惰でめんどくさがりな人間なので、そんなピカピカの目標は半年ももてば良い方だ。大抵は挫折するし、1月の時点で諦めていることだってある。
でも、目標を立てているときはやけに清々しく、前向きな気持ちで未来を想像している。

移植後退院したときに感じた「時間を大切に」という気持ちも、新年を迎えるときのような、これまでの自分と違う自分になっている気分だったからこそ出てきたのだろう。

もちろん病気を経て物事の見方は多少変わったし、命の大切さを以前よりも理解したつもりではある。
でも私の基本的な人間性というか性格みたいなものはあまり変わらないんじゃないか、とも思い始めた。

新しい決意をすることは、身近な暇つぶしに興じるのと同様に、簡単に気持ち良くなれることでもある。
決意を新たにすることは行動を変えるためには大して意味のないことだと誰かが言っていたし、移植して血液型が変わった人も性格は変わらなかったと言っていた。



なんとなくダラダラしていると自己嫌悪に陥ることもある。
でも、ダラダラしてる時間って割と幸せなのではないかとも思う。
生産性のないことはやらない方が良いといつから思い込んでいたのだろう。
入院していたとき、なんてことない日常が当たり前ではないとも気付けた。
気持ちよくダラダラできる時間もかけがえのないものだ。

うーん、これは無理やりな正当化かもしれないな。

でもそうやって心にも体にもエネルギーをチャージしたら、また改めて決意でもすればいい。
行動できたら儲けもんだ。

明日やろうで、ええやろう!
(いや、良くないやろ!!と思った方は是非今日やってくださいな。)

ABOUT ME
akky
悪性リンパ腫になって骨髄移植をしました。emaremo代表。甘党。漫画はONE PIECEとSKET DANCEが好きです。
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