がんを受け入れる・受け入れられない問題は患者間でよく持ち上がる話題の一つだ。
ある人が患者会で悩みを相談したら、ベテラン患者に「お前はがんを受け入れていない!」と言われて傷ついた。という話も聞いたことがある。
治療の不安とは違った面で、精神的にがんを受け入れられるかどうかはセンシティブかつ多くの患者に共通の悩みであるように思う。
がんを受け入れるとは?
そもそも、「がんを受け入れる」とはどのような状態なのだろうか。
自分を肯定できる状態?
がんになったことを諦めている状況?
気にしないで過ごせること?
前向きであること?
もう少し具体的にすると、その状態になったら気持ちが楽。自分のやりたいことができる。自分の思い通りに生活が送れる。といったことが頭に浮かぶ。
以前と比較して変わってしまったことは多くあるし、できないこともあるかもしれない。これから!というときに出鼻をくじかれる思いをした人もいるだろう。
一方で健康に過ごしていても手に入らないものはあるし、病気を期に大切なことが明確になる場合もある。
自分自身が考える「受け入れる」とはどのような状態なのかをさらに具体的にイメージすることで、幾分気持ちが楽になる気がする。
受け入れる方法があるという幻想
他の患者と交流したりSNSで発信を気軽に見れたりするようになったためか、他人が活き活きとしているように見え、感覚的に「あの人ががんを受け入れた方法」が存在すると錯覚してしまうことがある。
私自身、患者会で出会った血液がんの先輩方は、自分の知らない何かすごい方法(怪しい薬とかではなく)を使って精神的に安定しているのではないかと思っていた。
そして線の向こうに「受け入れたゾーン」が存在していて、その線を超えた人は通常の「幸せモード」なのだと、なんとなく決めつけていたのだ。
とある会で、10年前に白血病の治療をした方が「骨髄移植をして10年経って、ようやく受け入れるの「う」の字が見えてきた。」というようなこと仰っていた。
10年経ってもそうなのか。それを聞いて、少し私は安心した。
想像の域を出ないが、治療から時間が経ち落ち着いているように見える人たちも、受け入れられる状態と受け入れられない状態を行き来しながら過ごしているか、もしくは未だに受け入れられてなんかいないのかもしれない。
受け入れられない自分を受け入れることはできるか
自分の力ではどうにもできないことはたくさんある。故にそれらをすんなりと受け入れることは難しいのかもしれない。それでは「受け入れられない自分」についてはどうだろうか。
「受け入れる必要はない」という考え方が最近よく聞かれる。
対症療法的な言葉だが、個人的には良い考え方だと思う。
結局のところ、今○○をすれば一瞬で受け入れた状態になる、といった魔法のような術がないのであれば、開き直って「今焦って受け入れる必要はない」と問題を先送りにした方が良い。
そして、その上で今できることは何かを考える。
今できることしか今はできないから。
するとなんとなく、受け入れられないことは絶望的でもない気がしてくる。
ただ、受け入れていない状況によって何か生活に不都合が生じている場合は注意が必要だ。
ご飯が食べられなかったり以前のように趣味を楽しめなかったりする状態が続くのであれば、精神科や心療内科、もし近くにあれば精神腫瘍科への受診を検討しても良いかと思う。
【日本サイコオンコロジー学会登録精神腫瘍科医制度 登録精神腫瘍科医】
問いを持ち続ける
受け入れるとはどのような状態か?という問いに万人に共通する答えなどないのだろう。
なぜなら、この問いは自分の生き方に深く関わっているから。
だから今私が言えるのは、受け入れる方法は自分で見つけるしかない。だ。
恐らくすぐには答えは出ない。答えの出し方だって手探りだ。
でも、そんな問いを持ち続ける時間に意味があるような気もしている。
問い続ける決意をすることは受け入れられない自分を受け入れることに近い。
同級生や同期が羨ましく見える。がんから復帰してすごい活躍をする人だっている。
月並みではあるが、やはり他人と比較することはナンセンスである。
大切なのは自分自身が何をしたくて、今日、何をして何を感じたかである。
そうやって日々を繰り返していくことに、何にも代えがたいあなただけの価値があるのだ。
そしてその価値は自分だけが知っている。それだけで美しいのである。
特効薬はなさそうだ。
仕方ない。もう少し、自分に問い続けることにしよう。
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