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ピンクリボンのポスターは何故炎上するのか

ピンクリボンのポスターは何故炎上するのか

ピンクリボン運動とは2002年に朝日新聞社が賛同企業9社とともにシンポジウム開催という形でスタートした乳がんの早期発見を啓発するイベントである。2005年に第一回ピンクリボンデザイン大賞が実施された。

ピンクリボンデザイン大賞は乳がん検診率の向上を目的としたポスターやキャッチコピーを一般から募集するものである。

第17回デザイン大賞受賞作品

デザイン大賞の入選作品は過去に何度か物議を醸しており、今年のグランプリポスターも炎上を起こしてしまった。

今回のグランプリポスターは乳がんの罹患をガラポン抽選機に例えたデザインであった。

このがんを当たりくじに例えた表現が不愉快であると、Twitter上で多くの患者や医療アカウントが反応した。

また他のがん種の当事者にも引っかかる表現であったため、大きな拡散に繋がったのだと考えられる。

炎上の問題はどこにあるか

このポスターは乳がん検診を啓発する目的で募集・選定されている。

結論から言うと企画のこの目的設定に炎上の原因があるように思える

まずポスターのメッセージの対象は乳がんになっていない人だ。

がんとは無縁だと思っている人に向けてメッセージを発信する場合、興味を惹くために自分事と捉えてもらうくらいの身近さやある程度のインパクトが求められる。

しかしグランプリポスターを当事者が見たとき、自分の身に降りかかってきた受け入れ難い出来事を、ガラポンの当たりくじという身近ではあるが”気楽な”題材で表現されることに憤りを覚えるのは極々自然な反応である。

「乳がん検診を促す」という手段が独り歩きし、その先にある「乳がんで悲しい思いをする人を減らす」という根本的な目的を忘れてしまっているのだ。

実際にどのような審査や対策が行われていたか

どのようにグランプリを決定したのか。Webサイトを覗いてみると以下のことが分かる。

1.応募上の注意の「MY PINK ACTION」のリンク先とよくある質問の「注意するべきこと」として乳がん患者や家族への配慮を促す記載がある。(制作者)

2.審査員は広告系の人やコピーライターのみ。(審査員)

3.途中で患者会のネガティブチェックが行われている。(審査方法)

3つの大きなチェックポイントが存在するようだが、これらが上手く機能していなかったのであろう。

対策としては、より応募者の目に留まりやすい部分に配慮を促す記載をする(制作者)、審査員に当事者を入れる(審査員)、一般投票を審査に加える(審査方法)、掲示の際に判断する(審査外)等が考えられる。

また審査員やネガティブチェックに関わった患者会の講評やコメントがあれば、どこに選定のポイントがあったかや問題点についての建設的な対話が生まれるきっかけになるかもしれない。

ポスターを見すぎると感覚が麻痺する

審査には患者会のネガティブチェックが行われているようだが、これも正常に機能しているか考えてみたい。

過去の作品をHPで見てみると、初期のグランプリでは現在では出せないような作品が受賞・入賞しているのが分かる。

私のようなデザインや広告制作に明るくない当事者が過去のグランプリや入選ポスター等を大量にそして一気に見比べると、最近の作品の方が全体的にマイルドな作風になっていることになんとなく意識が行ってしまう。

濃い味の後に薄い味のものを食べても違いが分かりにくくなるように、過去作と比べるといくらか低刺激になっているため、ネガティブチェックが正常に働かなくなっている可能性はあると思った。

別に擁護するわけではないが、今回炎上したがんの罹患を抽選くじになぞらえる表現は今までの入選作にはなく(だからグランプリになったのかもしれないが)、過去の炎上実績から学ぶことは不可能である。

またピンクリボンは乳がん患者会への助成を行なっており、もしもチェックした患者会に助成金を給付していたのであれば、この構造が審査の正当性に影響を与える可能性はゼロではない。

傷つく人が増えても亡くなる人を減らすべきか

先ほど、啓発をしたその先の目的は乳がんで悲しむ人を少なくすることではないか、と述べた。

すると恐らく、悲しい思いをする人を減らすのではなく亡くなる人を減らすのだ。という言い分が出てくるだろう。

正直に言えば個人レベルでは肯定できる部分はあるが、社会的に言えばノーである。

つまり個人が自分の大切な人だけは生きていて欲しいと思うのは自然である。

しかし大きな視座に立ち、社会という大きなグループを主語にしこれを肯定した瞬間に秩序は崩れ去る。

なぜならこの論理だと社会にとって必要な人を生かし、それ以外の人は傷つけられても良い社会に繋がるからだ。

大きな組織が運営しているなら尚更イエスの重みを考える必要がある。

当事者に配慮できない活動は本末転倒

気にしすぎやら神経質だと言われることもある。こんなことで炎上しているのか、といったツイートも目にする。世間からみたら局地で起こっている炎上でしかないのかもしれない。

しかし、他人の些細な一言で傷ついた経験は誰にでもあるはずだ。

何気ないポスターの前で号泣した、あの日のこと。|鈴木美穂

私自身、啓発のためにはこのくらいは見過ごしてもいいかもしれない……患者側が少し我慢して救われる人がいるのなら……という思考が一瞬頭によぎった。

インパクトを出しつつ全方位を傷つけない広告やポスターは作れないという意見もある。優しい表現だけでは多くの無関心な人々の注意を惹くことは難しい。

でも本当にそうだろうか?

過去のグランプリにもハッとするデザインで強く印象に残る作品も多くあった。そのような作品を選出できる組織なのである。
今回入選したポスターの中でも、中外製薬賞のポスターは誰かを傷付けることなく印象付けて上手くメッセージを伝えることに成功していると思える。

ポスター制作を通してがんを知ろうとしてくれた作者を責めたい訳では全くない。
ただ本当にクリエイティブな人物またはそれを目指すなら、難しいとされるハードルを越える作品を作ってくれるはずだ。(もちろん炎上する可能性に気付かずに制作しているのだと思うが。)

誰かの我慢や犠牲を仕方ないと諦めている慈善活動はやるせない。

当事者に配慮できない活動は本末転倒である。

「乳がん検診を受ける人を増やす」という大義名分があれば、他の誰かに負の感情を生み出しても良いのだろうか。ましてや傷つけうる対象が乳がん当事者や家族であることは許容できることなのだろうか。

デザインやキャッチコピーの受賞歴が欲しくて応募することは悪いことではない。制作者は目立たないと評価すらされないのだからインパクトを重視するだろう。ただ私はメッセージの強さだけを纏った作品を心から応援することはできない。

審査員や運営団体は、啓発という手段で思考がストップしているデザインや誰かの犠牲を許容し共存を諦めているデザインを、本当に啓発に適していると言えるのか熟慮して審査をして欲しい

現状では当事者になったら傷ついても我慢するしかない、というメッセージを発信しているのと同じだ。

目にした一瞬で心を掴むものだからこそ、そこには誰よりも深い思考が求められるのだと思う。

でもきっと内部の人たちはそんなことは十分に分かっているのだ。たまに炎上させても、数年大人しくしていれば世間は忘れてしまうから。そうやって繰り返していくことで広がりはするし、継続できればお金も入ってくる。

もしも啓発したいだけなら、どうぞそのままで。

「早期発見すれば大丈夫」は言いすぎ。勝俣範之先生に聞く、ピンクリボン運動の功罪と「がんに勝つ」考え方の問題点 CancerWith

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悪性リンパ腫になって骨髄移植をしました。emaremo代表。甘党。漫画はONE PIECEとSKET DANCEが好きです。
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