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キャンサーギフトは他人から言われるとムカつく

キャンサーギフトを他人から言われるとムカつく

他人に言われても、素直に受け入れられないことがある。それがその通りだとしても。
自分の為を思って言ってくれているのかもしれないが、引っかかってしまうのだ。

キャンサーギフトはその最たる例であると思う。

キャンサーギフトとは

キャンサーギフトとは、がんになった経験から得られる物事を指す

命の大切さ。健康が当たり前でないこと。周囲の人の大切さ。普段の生活の中に突然と死の影が入り込んでくると、今まですぐそばに存在していたにも拘らず見えていなかったものに気が付く。

一般論として「がんになった経験から得られるものがある」こと自体は確かに事実だと思う。
実際に死と対峙したときにどのような感情になるのかを知っていることは、今後の生き方を決める上での一つの指標になり得る。

しかし、何かが得られたと感じるには、診断や治療から時差があることがほとんどだろう。かなり長い時間を経てキャンサーギフトなるものを感じる場合もある。

しかもギフトの価値はがんになって失った物の価値と比べたら、別に得られなくても構わない程度のものであることの方が多い。

キャンサーギフトの押し付け

診断直後や治療を開始した直後に、キャンサーギフトについて講釈を垂れる人に出会ったら誰でもムカつくこと間違いなしであろう。
そんな人はいないと願っているが……。

診断からしばらく時間が経ってからでも、他人から「キャンサーギフトって言葉もあるしねぇ」と言われた日には「いやあんたに言われたくないわ!」と心の中で叫ぶ勢いである。

もちろん自身の経験に自発的に意味を持たせるのであれば問題はないのだと思う。
過去の経験としてがんを振り返り、その経験の一部でも前向きに捉えられたときに、ようやく意味付けができるようになる。

周囲はそれを待っていて欲しいし、簡単に「キャンサーギフト」という言葉で一般化するには到底収まりきらない事態なのである。

自身で気が付く前にかけられる「これから良いことがあるさ」のような慰めは、ほとんど意味をなさないだろう。喉が渇いているときに数年先に飲める水を頼りに生きることはできない。

他人がキャンサーギフトに関して発言するのはなぜか。
あなたのためと言いつつ、発言者がその状況に納得感を持たせたい、
何か言わないといけないと焦り、思考停止状態でこの状況に相応しそうなセリフを口に出している、
などが考えられる。

これら以外にもあるかもしれない。ただ本当に当事者に寄り添おうと思うのなら、がんと対峙している人に前向きな言葉をかけるタイミングは、慎重に見極めなければならない

キャンサーギフトにどう向き合うか

先日こちらの記事を読んだ。

がんを書いてきたライターが乳がんに…〝孤独と絶望〟の体験記 「まやかし」でも占いにすがった自分

「キャンサーギフト」とは言いたくない。でも、がんを患った自分として、妻として、母親として、自らの人生を編み直し、「再生」していく過程はあった

news.yahoo.co.jp

キャンサーギフトという言葉で片付けたくない気持ちには非常に共感できる。がんとのトレードオフという捉え方では失った物は大きすぎる。

一方その上で、“自らの人生を編み出し「再生」していく過程”で見える景色が確かに存在するのだと思いたい。

キャンサーギフトという言葉だけが悪いわけではなく、使い手にも責任の一端があると思う。言葉の背景を考えず、表面的な意味だけを取り込んで言葉を使うと発言は張りぼてになってしまう

実際にやれることは少ないかもしれない。

自分は同じことをしない、くらいか。
でも本当に、自分が言われたら嫌なことを口にしないと心に誓い実践できたなら、少なくともあなたに関わる人は嫌な思いをしなくて済むだろう。

ABOUT ME
akky
悪性リンパ腫になって骨髄移植をしました。emaremo代表。甘党。漫画はONE PIECEとSKET DANCEが好きです。
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