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サバイバーという言葉から考える

サバイバーという言葉から考える

がんになってから、がんサバイバーという言葉が目に留まるようになった。
カラーバス効果〜意識した情報が自然と目に入るようになる現象|モチラボ

がんサバイバーをそのままの意味で受け取ると、「がんになって生き延びた人」という意味になる。
これを「がん患者」と同じような意味合いで使用しているのを見たときに、不自然な感じがした。

このサバイバーという言葉は他にどのような場面で使われるのだろうか。
戦争から帰ってきた軍人にも使うし、災害や事故、虐待を生き延びた人にも使われる。

つまり、なんらかの不慮のイベントをくぐり抜けた人たちはサバイバーと呼ばれる。

がんサバイバーの意味

少し調べてみると、がんサバイバーの定義は直訳からイメージされる「生き延びた人」だけを指すのではなく、「治療中の人」も含まれるということがわかった。

あの違和感は定義を正確に理解していなかったために生じたものであった。
直感的に推察できる範囲を超えていて少々ややこしい。

しかもアメリカではがんサバイバーと言うと広義として、患者本人だけでなく家族などの周囲の人の意も含まれるようだ。
さらにややこしい。

恐らく、
「がんサバイバーとは治った人だけなのか」議論が起こる。
 ↓
定義を「がんと闘う」患者全体にする。
 ↓
病気と闘っているのは当事者だけでない。家族も含めよう。

というような流れがあったのではないかと妄想した。

センシティブ系のことに関する言葉は、言葉の変化や定義の変化への圧がかかりやすいために進化が急速に起こるのだろう。

気付かれる

似たようなことが人種や性的志向に関する言葉にも当てはまるかもしれない。

以下妄想。

当初、ある言葉が生まれたときは、ただ単に直接的というかある種”分かりやすい”表現であるがゆえに一般的に広がる。

次に、その言葉が直接的であると意識されたり、あるいは言葉の範囲にギリギリ含まれないか曖昧な領域にいる人に注目が集まったりして、声が上がる。

その後、言葉の定義が変わるか、社会の目をくぐりぬけることのできる新しい言葉が生まれる。

新しい言葉を使うことで、感度が高くて“配慮をしている”という姿勢を示せるので、使う人が増える。
さらに炎上対策にもなる。

そうやって、以前使われていた言葉は差別的となり、進化が完了する。

言葉が多くの人の目に留まると、それだけ違和感を抱く人が増え、変化への圧が高まっていくのだろう。

これは決して悪いことではなく、それだけ言葉の孕む課題が人々の目に触れる機会を作ることができた結果とも言える。

そうやってできた新しい言葉や新しい意味の裏には誰かの抑圧された思いが隠れているのではなかろうか。

言葉選びと価値観

個人的な話をすると、入院してから「闘病」という言葉を使ってこなかった。

正確に言うと、自分の治療課程を闘病という言葉で表したくないなと思った。
今もそれはあまり変わっていない。

闘病記や闘病アカウントなど、別に他の誰かが納得して使っているならそれに異議を唱えたり非難したりするつもりは全くない。

ただ、極めて個人的な問題で、自分自身が使うと嘘をついているような気分になるので使いたくないだけなのである。

自分が入院当時もっていた感覚としては、「病と闘っている」というより、「抗がん剤の副作用と闘っている」という色が強かった。つまり“闘副作用”である。

また抗っていた不安は治療方針よりも、「ちゃんと復学できるのか・将来働けるようになるのか」ということだった。つまり“闘社会的な不安”である。

これらを含めて病の性質と解釈することもできる。闘病には「病を治すために療養する」という意味もあるようだ。

わかってはいる。でも、自分の中になんとなくの引っかかりがあって使えていない。

一方でこの違和感は病気になった者として、もしかすると否定的に捉えることはないのかもしれない。

なぜなら、がんが治癒することを前提に治療後の生活について心配することができていたのだから。
(勿論死ぬかもしれないという不安はあったが、それも骨髄移植の副作用や関連する合併症が原因で起こることの延長に対する恐怖だった。)

ただ、治療が上手くいくと強く信じていても言葉の意味に繊細に反応してしまう程、精神的にも追い込まれていたのだろうし、
言葉にポリシーを持ってしまう程全力で気持ちを奮い立たせていないと自分を保てなかったのだろう。

病気だけに留まらず、困難な状況の捉え方は人によって千差万別であり、渦中にいる人たちの中でも決して一律ではないはずだ。

「細かいことは気にしない!ガハハ!」と豪快に過ごせる人もいれば、気持ちが鋭くなって些細な物事が気になる人もいる。

困難に直面している誰かに寄り添いたいと思ったとき、何が大切なのだろうか。

一つ言えることがあるとすれば、目の前にいるその人がどう感じているかを丁寧に知ろうとする姿勢をもつことが大切だと思う。

そして、その人の言葉は物事をどう捉えているかを知る一つのヒントになりうるだろう。

あの人が選ぶ言葉に価値観が表れているとしたら。
あの人が選ばない言葉に大切なものが隠れているとしたら。

恐らく他人の考えていることなんて分からない。分からないけど、少しでも知ろうとする姿勢を忘れずにいたい。

ABOUT ME
akky
悪性リンパ腫になって骨髄移植をしました。emaremo代表。甘党。漫画はONE PIECEとSKET DANCEが好きです。
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